/(^o^)\スター…
\(^o^)/オシャン!!
ごめん、なんでもない。
後期の授業終わりましたー。
これでとりあえず単位はそろったかな。
明日からは「春休まない」です。いや春休めないか。
春からはどうしようかなぁ授業。
友人が教育実習の経験を書いていたのでふと思ったこと。
心当たりがない人のためのあらすじ。
・教育実習で「先生、彼女いないの?」といわれる
・自分がゲイであることを生徒に伝える
・後から校長、教頭から呼び出しくらって説教
・大学に報告書が届く
・ゼミの先生からよくやったと言われる
これは友人の個人的なmixiの日記の話なので、
コメントとしては当然擁護のものが強いですし、
どういう文脈で説教にいたったかは別として、
「説教する」という行為は教育現場では概ねベターかなと
僕は思ったりしました。
ポイントはこんな感じ。
・教育現場は同時複数名への教育の場であること
・短期間で教えられることが限られていること
・現状、同性愛者を保護する法律が不十分であること
・生物学上同性愛のカップルでは子供を作れないこと
教育現場で先生に求められているものは、
僕個人の意見としては、教えられる子供「たち」の幸福の
最大化かなと思います。漠然としているのでもう1レベルいくと、
学力をつけ進路の幅を広げる。
社会常識・集団生活を学び社会生活能力をつける。
当然のことですが、これを「最大に」するのがポイント。
たとえば先生の可処分時間は一定で、
ある「おちこぼれ」を時間をかけて秀才に育て上げるか、
全体にまんべんなく、かつ効率的に能力の底上げを図るか。
ここで最大化を目指し、かつ平等を目指さなきゃいけないのが
塾講師と教員の最大の違いかなーと思います。
さて、現在生物学上、同性愛カップルは子孫を残せません。
南国少年パプワくんでは、子煩悩パパこと「マジック」が
「同性愛はいかんぞ、非生産的な」というせりふを言っていて、
この「非生産的」というところは非常にポイント。
単純に、国にとって同性愛は資するものが現状多くない。
でも僕は同性愛否定論者ではないです。
ついでに、物質に還元できるものだけが重要とも思わないので、
ジーン(遺伝子)に対するミーム(模倣子)みたいなモノも
考えていかなくてはいけないと思うのです。
これは社会が直面している課題。
ざっくり言うと、父母からもらった遺伝子だけが子の全てをなすのではなく、
何を教え、どんな環境にいたかということが重要なのだという簡単な話ですね。
「子」という認識について、生物的要因以上にこういうところが出てこないと、
同性愛カップルの子はその存在をどうするかということが難しい。
行政、生殖補助、いろいろ広げられますがここではこの程度で。
次に、法的に同性愛を保護することができないということについて。
現状、日本では同性愛の法定婚はすることができません。
ステレオタイプに結婚を幸福の条件とすることには僕は懐疑的ですが、
それでも現状、結婚がいかに社会的に重要な位置を占めているか、
ということについては、語るまでもないかと思われます。
ちょっと今乱暴に言ってしまうと、
結婚できない=幸せになれない、となるならば、
同性愛=幸せになれない、ということが言えてしまうわけです。
ちょっと短絡ですが、同性愛のおかれている現場ということで
ご理解いただければと思われます。
んで、同性愛って、僕は1か0かというデジタルなもんではないと考えてます。
男性も女性もOKという人もいるし、ちょっと同性愛っぽい、位の人もいるはず。
直線状のグラデーションみたいな感じ。
さらに、ある人が同性愛になるかどうかには、それこそジーンよりミーム、
社会的な要因が関わってくる可能性が大いにあると思うのです。
さて、以上を踏まえまして、さらにもう一歩。
今度は「同性愛者側から」という視点です。
社会的に、同性愛者を保護するという観点は非常に重要です。
つまりは、同性愛者と異性愛者が同じ基盤に立てるということ。
このために何が必要かというと、究極には同性愛者の数と声。
ある一定の勢力を持つことで、法改正に至ることが重要なわけです。
なので、「声を上げること」は重要です。
つまり、友人が同性愛者ということを語ったことの意味は大きい。
長くなりましたが、以上全部踏まえまして、
教育現場は国/教師/生徒(親)のそれぞれの主張が交錯する
非常に複雑な現場ですので、明確にすることは難しいけれど、
国(≒学校の幹部職員)と教員の主張を考えてみます。
ちなみに、教師と国はそれぞれ教授の自由、
つまり自分が何を教えるかについてある程度の権利があります。
言い換えると、先生は国が決めたことと自分が伝えたいことと
両方教えることができ、また教える義務が出てくるわけです。
■国の主張
再生産の確保:同性愛では現状子供は作れない。次世代が残らない状況は困る
幸福の確保:同性愛者が社会的に保護されていないため、子の幸福が減少する危険性
(現状の法体制下では同性愛と異性愛のボーダーにいる子の最大数を異性愛に含めたい)
■同性愛者の主張
幸福の確保:同性愛であることを主張できる社会基盤の要請。
ということで、ぶつかってしまうんですね。
じゃあ、子供が幸せになるために同性愛について語ったらいかんのか!
というとそうではなくて。最後に残った「期間」のポイントにいくわけです。
教育実習の短い期間で、教員の経験の浅い教育実習生が、
同性愛という複雑極まりない問題についてどのように語ることができるか
という点が難しくなる。微妙なバランスなんですよね。
ということで、同性愛者が教育現場で同性愛を話すことは
大いに意味があるし、保護されるべきことであると同時に、
現状教育現場に期待されている機能として、
保護されている異性愛に傾けた教育を国と社会が要請することも
また現状の社会情勢では意味があることなのですね。
この2点が戦うことそのものに意味が生まれてくるわけです。
つまり、みんな自分の仕事と主張をしっかりすると、
こういうケースになっちゃうのは普通のことだと思うよ、
むしろこういうところでぶつかる事に意味があるよ、
(現場に直面するものは痛みを伴っているのがつらいところだけど)
というお話し。長かったー。
最近のコメント