児童ポルノ 被害者特定できず
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080602k0000m040116000c.html
ちょっと過激な感じのするタイトルにしてみました。
意図はちょっと違うベクトルから考えてみようかなと思って。
まず最初に、こっからの記事が児童ポルノを推奨することや、
児童ポルノ被害者を貶めることが目的ではないことを
先に申し上げておきます。
児童ポルノに関しては、対立する意見が実は対立せずに
ねじれているって言う事から行きたいなと。
・法案を通したい側の主張
児童の性的被害に対する対処
製作者処罰では追いつかない現状
児童ポルノと性犯罪被害の因果関係(肯定)
(ハズレのない政治的支持獲得方法)
・法案を通したくない側の主張
不当逮捕の危惧・所有者逮捕への危惧
表現の自由への違反
児童ポルノと性犯罪被害の因果関係(否定)
(性的嗜好の満足)
()の方は一応挙げておきましたが、
表に出して戦うもんじゃないので除外させてもらうとして、
もうひとつ除外しておきたいのが、
児童ポルノと性犯罪被害の因果関係。
両方にとって武器になるアイテムではあります。
見るとムラムラしてやってみたくなる、
ムラムラするのをコミックなどで抑えている、
と対立してるんですが、ここは無視します。
カタルシスって研究の仕方でいくらでも恣意的になるし、
具体的ケースならどちらにでも説明がつきますので、
水かけ論はしないということで。
現状、これで話をするのは現実的ではない。
では残ったモノというと…方向性がずれてるんですね。
「子供を守る」という事と
「不当な権利行使を防ぐ」ということは、
土俵を同じくしてますが本来は別モノ。
これは、賛否あると思いますが、
ひとまず「表現」の分野に「子供を守る」っていう
大義名分が飛び込んできたと考えてみてはどーでしょう。
(高尚かどうかは別の議論として、ポルノも表現は表現なので。)
でも「子供を守る」ってすごい大義名分っぽいんですよ。
大義名分すぎて、神格化されちゃって、疑問に上らない。
だからここを疑問にしてみようということです。
「子供」って守るべき対象なの?という疑問。
あ、哲学の話をするつもりではありません。
一応、有名な文献でP・アリエスって人が「子供の誕生」
っていう本で、子供が歴史的には愛情の対象というよりも
未熟な大人(労働力)として扱われてたことが書かれてるんですが
その辺は興味のある人が読んで頂くとして。
実際、子供と大人を分けている線は法律で、
絶対的なものかといえば、その時の法によるわけだし。
ポルノはたぶん18歳からなのかな?ですが、
18歳になった瞬間からポルノOKなのかということで、
18になる直前からスタジオ待機!とか滑稽ですよね。
子供にも一定の権利が認められていて、
理性ある1人間として(一部制限はされつつも)認められてる。
でもここにやはり疑問は残る。
児童は精神的に成熟しているのかというと、
それはやはり疑問を投げかけざるを得ない。
という事で、子供、児童に関しましては、
特別に保護をしていくと、大人とイーブンになる。
ってことで、結局「子供」は守らなきゃいけない存在、
で変わりはないんですが、その中身を整理してみました。
無条件に「守られるべき」存在としての子供ではなくて、
プラスアルファの保護を置かなければいけないという
「ルール」の中に置かれている存在として位置づけます。
さて、法案で実際に目指さなきゃいけないところはなんでしょう。
そりゃ勿論「性犯罪被害」を減らすっていうことで。
ひとつだけ残ります。
「児童の性的被害に対する対処」
これ。
他はもう付属物なので、あとでもう一回出すにしても
まずはここだけ。
児童(=特別の措置を取るべき存在)の性的被害に対応(被害を抑える)する。
こういう犯罪が問題に上がるってことは、
「性犯罪被害の現状が動いてる」
ってことが出てくるのだろうと。
となるとこのニュースはすごくわかりやすく、
「数」が出てきてるのだけれど、その「被害者」が特定できない。
これがすごくポイントです。
最終的に被害者を減らすことをやりたいわけなのだけれど、
被害者の明らかにならない数が増えていくばかりで、
被害の実際の数が減らせない。
で、現状として、ネットワークによって、
こういう「表現」の土俵に上がるものを流通させることが
簡単になったことで、取り締まる側は抑えることができなくなった。
かつ、流す側には利益がある。
…という事で、被害の数を減らしたいのに、
その出てくる元を取り締まる事が出来ない。
じゃあ、需要の方を絶ってしまえ、ということになる。
需要がなくなれば、確かに利益がなくなるので、
つくる側がつくるメリットがなくなって、
つくらなくなり児童の性的被害を減らすことができる。
理にかなってるといえば、理にかなってるんです。
(著作権の非親告罪も似たようなロジックかと思ってるんですが)
ただ、これにいろいろ尾ひれがついてきた。
カタルシスの話とか、コミック等も海外並にしろ、とか。
それが一緒に表現の土俵の中に紛れ込んできたので、
結果わけが判んなくなってるわけで。
いろいろ申し上げてまいりましたが、
結局このお話は、最大のポイントである
「児童の性的虐待に対する対処」
に限って、尾ひれをつけずに考えてみるのが宜しいかなと。
カタルシスの話とか、子供は守られるべきだから、
とかそういうマジックワードを持ってこないで、
とにかく現状の案である所有者を罰する、
という策よりも性犯罪被害を減らすことができる方法を模索する。
「施行する」か「施行しない」かじゃなくて、
こういう議論を肯定否定両派がしないと、
そもそも論点がすれ違ってるので、結果に結び付かないよ、と。
製作者を検挙するもう少し効果的な方法があれば、
状況変わってたと思うんですけどねー…。
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