ズレてないか?
うーん、何度見てもこの2つの記事は視点がズレてるようにしか見えない。
どうやったら弾氏の反応の流れになるんだ?
http://d.hatena.ne.jp/iammg/20080730/1217359666(MGさん)
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51088798.html(小飼弾さん)
これと似たような構図の対立を前に見たことがあって、
確か「日本の大学」だっけ、爆笑問題と大学の先生がしゃべるヤツ。
太田光が個人の責任を説いてて、
大学の先生が社会責任を説いてた。
社会の問題と個人の問題はどちらかっていう話じゃなくて、
有意に観測できる数値に達した場合に社会の問題として
取り扱うべき状況が出てくるという話で、
その場合に個人の問題が消えるわけではない、
というのがまず基本。
つまりこの場合、弾氏の応答は、
MGさんが社会の問題を話していて、
それは個人の問題が消えるわけではないのだが、
社会に責任転嫁したととらえたところがポイントか。
それについて一応MGさんは解答しているようで、
http://d.hatena.ne.jp/iammg/20080730
の「後半」のところで書いてるんだけど、
この視点が一般の人にはわかりにくいのかもしれない。
…ということで、ちょっと
「個人の問題と社会の問題が択一ではなく同時存在する」
ってことを判りやすく説明できないか考えてみる。
例は交通ルール。
道路は放置しておくと劣化するので事故の確率が増す。
交通ルールを守るのは個人の責務。
交通ルールを守るかどうかは「個人の問題」なのだが、
社会に同じ交通ルールがいきわたっていたとしても、
劣化した道路と舗装した道路では交通事故発生確率が異なってくる。
ある個人が事故るかどうかは個人の注意という
個人の問題だが、行政(=社会)が道路を補整してやれば事故率は減る。
これを仮に「個人の問題」と断定してしまうと、
社会は対応責任を免れるので道路は補整されず、
「交通事故」が増えるという結果が発生する。
この場合、社会による対応で道路が補整されるのが望ましいが、
だからって個人が交通ルール軽視していいわけではない。
これは単一な方向性なので、これを今度は
MGさんが書いてる問題にもっていかなきゃならないのだが、
今度はエリートがどうとか、就職がどうとか、
そういう問題が絡んでくるので、結構めんどくさい。
どんな就職状況であれ、個人がどう生きてくか、
っていう問題は社会に転嫁できないレベルで残ってるし、
「高学歴だから就職も楽勝です^^」という予測と
「高学歴なのに就職が死にそうです><」という現実のギャップは、
前者をちょい前までの社会の現実とすれば、
現在の社会へのシフトは「社会問題」とできるのだ。
多くの社会問題によくあることだと思うんだけど、
こういう主張って「個人の問題も抱えてる」人がしないと
リアリティがない、成り立たないところがあって、
それが「お前が言うな」と重なってしまうのがジレンマ。
そもそもMGさんは「個人が就職できないのは社会のせい」
とはどこにも書いてなくて、
個人は個人で気合入れて就職頑張れよ。
それとは別に社会はこの変化をどうするか真剣に考えろよ
と言っているのではなかろうか。
ってな推測を元に弾さんの文章を見ると
”頭がどれだけ優秀か、というのは、どれだけのことを自分ごととして頭がとらえられるか、ということ。裏を返せば、それをどれだけ社会ごとという名の他人ごととして頭がとらえるかが、バカの度合いということ。”
と書いているが、前述のように社会ごと=他人ごと、ではないし、
そもそもこの話を個人か社会かの2択ととらえてしまうことが
大きなズレだったんだと思う。
でもまぁ、MGさんが”これは、個人の問題ではない社会の問題である”じゃなくて
「個人の問題であるとともに、社会の問題である」とかって書いたら、
もうちょい判りやすくなったのかなー、と思った。
あー、久しぶりに長い文章かいたよ。
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