冬に入った頃、出版され、今も平積みでよく見かける「電車男」。
スポーツ新聞関係でこんなネタもあがってるらしい昨今。
結構目にするのは、電車男が実在するかどうか、というお話。
実際こんなことはないだろう、ここがおかしい、などなどから
ネット上の創作ではないかっていう意見もあり。
うちの講座の情報系の教授も不在派っぽいです。
僕が「電車男」の話に触れたきっかけは、2004年5月、メッセンジャーで
面白いまとめページがある、と友人に紹介されたため。(このサイト。)
丁度電車男が一連の戦いを終えた直後で、僕は貪るようにまとめを読み、
そのあとすぐ始まった「その後」は、リアルタイムで追っかけていた。
(注:その後→書籍化された「電車男」の後、同一人物によると
思われる書き込みで、その後のエルメスとのやり取りが綴られた。)
で、それが最近になって、書籍化され、漫画化され、次は映画化とか。
すでにネット上で「大好評」となってる作品なわけで、しかも著作権とか
あいまいなのか、売れると判ってるからか、各種出版社飛びつく飛びつく。
漫画にいたっては同原作で三作以上異なる作画で出ているみたいで。
この貪欲さはちょっと苦笑いせざるを得ないとこがあるのだけれど、
ここではあんま関係ない話なので事実だけでおしまい。
「電車男」が実在するかどうか、という話に関しては、
実際どうでもいい、と個人的には思う。
「電車男」として書き込んだ者が必ず居るわけだから、
書き込んだ人間=電車男、とすれば居る、で1択なんだろうけれど、
電車男が創作かどうかの是非が問われていると思うので、そっちの話で。
大筋として考えることは、ネット上でそれだけの知名度を
集めてしまったものは、もう既に現実なのだ。ということ。
インターネットは現実よりもかなり、それが許されるところであると思う。
実在する僕が「名無しさん」として2chで書き込むより、
ずっとずっと「電車男」の方が、ネット上で「現実」を作っている。
言い換えると、それだけ多くの人間に認知されている。
これはネット上に限定して言えば、電車男が実在している、といって
良いという事だと思う。「匿名性」みたいなことの性質によって、
個人が本来とは違う自分を演出したり、複数以上の人物を演じたり、
そういう事が可能になった。ってことは、そこで出てる人間は
真実であろうともなかろうとも存在を許されてるって事になると思う。
ちょっと広めに現実も視野に入れてみると、人間そうそう自分を100%
出し切ってコミュニケーションすることは少ないと思う。
つまりいくらか自分を演出していて生活するもので、
しかもそれが好ましい事だってある。
ネット上で自分の事を違う人物として表現するのと、
そう遠くはないんじゃないのか?と思ったりするのである。
コリン星だかから来たっている某ゆうこりんが
本当のことを言っているかどうかなんてどうでもいいじゃないか。
だから電車男が実在するかどうかなんてどうでもいいじゃないか。(笑
という感じなのだった。
きっとこれからこういうケースはもっと増えると思うし、
ネット上と現実上の摩擦、不和、コラボレーションは増えてく。
てことは今までしっかりしてたはずの実際とか現実がどんどん
あやふやになっていって、現実ってなんなのか考え直さなきゃ
いけなくなっちゃうと思うのだ。
一つ一つ検証していると、きっとキリがない。
まとめると、
「電車男は僕らの心の中に居て、それが現実。」
こんな感じで。
最近のコメント